DEATH「死」とは何か

 あなたは「死」について考えたことがあるだろうか。

 

ぼくは小さいころ、なかなか眠りにつけないときにこのまま眠っている間に死んでしまったらどうしよう……なんてことを考えていたような気がする。

死んでしまったらどこへ行ってしまうのか。生まれ変わって全く別の人間として新しく人生を送るのか。そもそも死って何だろうか。いくら考えても答えにはたどり着けないが、誰もが一度は考えたことのあるテーマではないかと思う。

 

ぼくたち人間にとって「死」は切り離すことのできない問題であるといえる。

ほとんどの人が、死は悪いものであると(もちろんぼくも)思いこんでいる。では、どうして死は悪いものでありうるのかを考えたことのある人はあまりいないのではないだろうか。

死に関して何が悪いのかを見極めて、どうして死が悪いものでありうるのかを理解するために本書ではゆっくりと、300ページ以上にわたって丁寧に説明してくれる。

 

300ページ以上、というとなんだか敬遠されてしまうかもしれない。けど安心してほしい。この本はイエール大学シェリー・ケーガン教授による実際の講義に基づいて作られており、話し口調で書かれているのでよく頭に入ってくる。死とは何か、死は悪いものなのか、永遠に生きるのはいいことなのか、自殺は許されるのか、など、死について考えるときに避けて通れない具体的で大切な問題が、入門レベルの学生にも十分理解できる言葉で取り上げられている。

 

「死」をあまり身近に感じることのない10~20代にこそ読んでもらいたい1冊だ。「死」をテーマにしたこの本ほど年齢を重ねるにつれて読んだときの思いや感じ方が変わるものはないだろう。

 

 

「死ぬのが怖くない」と思っている人はあまりいないように思う。

誰もが「死」を恐れ、普段はそれを意識しないけれどそうした人生を送っている。

しかし、著者は死を恐れることについてこのように言っている。

言うまでもなく、死は究極の謎であることに変わりはないが、不死はそれでもなお正真正銘の可能性であり、その可能性を私たちは望み、ぜがひでも手に入れたいと思う。というのも、死は一巻の終わりであるという考えにはどうしても耐えられないからだ。それはあまりにも恐ろし過ぎる。

だから私たちは、それについて考えまいとする。身の毛がよだつようなことなので、仮に死について考えたら考えたで、不安と恐怖と心配に呑み込まれる。

また、これが生と死という現実に対して人が示しうる唯一の分別ある反応なのが、火を見るよりも明らかに思えてしまう。

人生は信じ難いほど素晴らしいから、どんな状況に置かれていても命が果てるのを心待ちにするのは筋が通らない。死なずに済めばどんなに良いか。だから、自殺はけっして理にかなった判断にはなりえないと考えるわけだ。

私はこれをすべて否定する。この一連の信念は広く受け容れられているかもしれないが、(ほぼ初めから終わりまで)間違っていると主張してきた。

魂など存在しない。私たちは機械にすぎない。もちろん、ただのありきたりの機械ではない。私たちは驚くべき機械だ。(中略)私たちは人格を持った人間だ。だが、それでも機械にすぎない。

そして機械は壊れてしまえばもうおしまいだ。死は私たちには理解しえない大きな謎ではない。

(中略)

私たちが現在のような死に方をするのは残念ではないなどと言おうとしてきたわけではないことは、わかってもらえていればと願っている。

不死について論じたときに主張したように、人生が価値あるものをもう提供できなくなるまで生きる力が私たちにあったほうが、間違いなく望ましいだろう。

少しでも長い人生を送ることが本人にとって全体として良い限り、死は悪い。そして少なくとも多くの人にとって、死は早く訪れすぎる。だがそうは言っても、不死が良いということには絶対にならない。実際には、不死は災いであり、恵みではない。

そんなわけで、死について考えるとき、死を深遠な謎と見なし、恐ろしくて面と向かえず、圧倒的でぞっとするものと捉えるのは適切でない。適切でないどころか、死に対する比類なく合理的な応答にはほど遠い。思うに、死を恐れるのは不適切な対応だ。
 

著者がこのように主張するまでのプロセスをぜひ本書を読んで知ってほしいと思う。この本は結論よりも過程のほうが圧倒的に重要だ。

 

 

 

死はたいてい突然に訪れる。だからとても別れが寂しい。

 人によって生きていられる年月が違うことに無力さを感じながら、一生懸命に生きることを忘れないで生きていきたい。

自分にとって死とは何なのか。あれこれ考えを巡らせながら読んでほしい。

 

 

「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義

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