人生で大切なことは泥酔に学んだ
みなさんはお酒を呑み過ぎてやらかした経験はあるだろうか。
自慢じゃないが、僕は何度も経験済みだ。
そう、「何度も」である。つまり、僕は失敗から学習しないポンコツ人間なんだけれども、酔っぱらって気づいたら駅のホームに突っ立ってて財布やらノートパソコンやら大事なものが入ったバッグが手元になかったときはさすがに焦った。
就活中に、面接で「お酒で失敗したことある?」と聞かれて「ないですね」と即答できた自分が恐ろしい。
そんな時に出会ったのがこの本で、僕はワラにもすがる気持ちで買ってみた(そんなことよりまず禁酒しろ)。
学校の教科書に出てくるような偉人であっても、泥酔して周りに迷惑をかけて失敗しまくっていた人物がいる。この本は、そんな偉人たちのウソのような本当の泥酔話から処世術を学ぼうというものである。
「泥酔に学ぶ」とは言っても、かなり親しみやすい文章でおもしろおかしく書かれていて著者の栗下直也氏も自身の泥酔にまつわるエピソードを織り交ぜて構成されている。
きっとあなたよりもはるかに酒を呑み、ありえない酔っぱらい方をしていた偉人たちの話を読むことで自分なんてまだまだ大したことはないと思えるかもしれない。だから今までのお酒の失敗を後悔している人や、昨日の酒の場を反省しながらも明日を元気に生きたい人たちに読んでもらいたい。著者は冒頭でこう書いている。
だが、悲しいかな、酒を呑んでしくじったところで人生は終わらない。いや、むしろしくじったところでどう振る舞うか、酒癖がヤバいのにどう生きていくかの方が実は重要だったりする。しかし、レールを外れた人は教訓を語る立場にないし、泥酔しながらも成功した人は多くを語ろうとしない。
この本に出てくる偉人は作家、政治家、スポーツ選手、俳優などと幅広いので人物伝として読んでも意外な発見があったり、様々な時代の人物が出てくるので当時の歴史背景を感じながら楽しめる。
さて、どんな人物が出てくるかというと、有名どころだと太宰治、第2代内閣総理大臣の黒田清隆、福沢諭吉、平塚らいてう、などである。えっ、こんなすごい人たちが大酒飲みだったなんて、と思うほどそうそうたるメンツだ。
たとえば、太宰治は無銭飲食でお金を取りに行ってくるといって友人を置き去りにして、十日近くも行方をくらませた。見つかったときには将棋をしていたという。
しまいには、「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」という謎のセリフを残したそうだ。僕よりもポンコツかもしれない。
ただ、僕のような凡人とは違うところが太宰治はこの時の心情を作品に昇華させているところだ。それが「走れメロス」である。
自分は将棋を指していて、走らずに座ったままだったわけだが、メロスを走らせちゃう。さすが太宰治というべきか。待つ身であった壇も「あれを読む度に、文学に携わるはしくれの身の幸福を思うわけである」と絶賛しているから、結果よければ全てよしといったところか。
また、黒田清隆は刀が趣味で酒を呑みながら刀を抜くというクレイジーな一面があったせいで、酔っぱらって妻を斬り殺した疑惑をかけられたし、「批評の神様」と呼ばれた評論家の小林秀雄は一升瓶を抱えて、水道橋駅のホームから落下した。
みんなぶっ飛んでいる。だいたい、妻を斬り殺した疑惑をかけられる人がどうして総理大臣になれたのだろうか、と思う。
僕は麻雀が好きなので、「ミスター麻雀」と呼ばれた伝説の雀士、小島武夫のお酒にまつわるエピソードをこの本から少し引用して紹介したい。
1970年代に最も人気を誇っていた麻雀。そんな麻雀ブームの真っただ中に麻雀プロとして深夜番組などに出演していたのが小島武夫である。小島の著書『ろくでなし 伝説のミスター麻雀、酒と女とカネの無頼75年』には「酒を呑むようになってからいままで、ひと口も飲まなかった日は記憶にない」という。晩年には酔っぱらって転倒し、鎖骨を骨折したこともあるが懲りずに呑んでいた。酒に溺れることについて小島はこんなことを言っている。
「酒に溺れるべからず」と世間ではよく言われるが、俺は逆だと思う。
酒にはとことん呑まれ、とことん溺れたほうがいい。そうじゃなきゃ、アルコールが入っている意味がない。〈中略〉酔い潰れると、身体は最悪な状態になるが、不思議なことに恐怖心が薄れ、あとから自分でも驚くような度胸が湧いてくるのだ。
なかなかの名言ではないだろうか。僕はこの言葉のおかげで泥酔した次の日の朝も後悔で頭を悩ませることなく過ごせそうである。
難しいことは考えず、 ただこの本を開いて偉人たちの泥酔っぷりに圧倒されてしまえばいい。きっと何か大切なことを教えてくれるはずだ。
さあ、あなたも泥酔に学ぼう。