日本のスポーツよ、立ち上がれ!『スポーツ立国論: 日本人だけが知らない「経済、人材、健康」すべてを強くする戦略』

2020年5月20日、全国の高校球児の夢である夏の甲子園大会が中止となった。

当事者である球児たちはもとより、毎年楽しみにしているファンや野球とともに高校3年間の青春を過ごした元球児たちのショックは大きなものであっただろう。

2020年に開催予定だった東京オリンピックも延期になり、プロスポーツ無観客試合という形で開幕した。
スポーツに対する考え方も楽しみ方も変わってきている現状がある。
スポーツの価値とはなんなのか、日本のスポーツはどうあるべきなのか今一度考える機会を与えてくれるのが本書である。

読者をひきつけるスケールの大きいタイトルであるが、そもそもスポーツ立国とはなんなのだろうか。

著者は冒頭でこのように述べている。

「スポーツ立国」。

本書で記していくのは、スポーツがもたらすさまざまな効能であり、主に経済的側面における欧米での成功事例をもとに「我が国をどのようにアクティベートするか」というアイデアや提言の数々です。

どれも机上の空論ではなく、世界各地で実際に起こっているファクトに基づきます。

もちろん、実現には多大な努力がともなうでしょうし、日本ではうまくいかないかもしれません。

でも、ラグビー日本代表のように、大谷翔平選手のように。

「できなかったこと」を「できるようにする」ことが人間の本質であると信じ、「スポーツ立国ニッポン!」を声高らかに提言したい、そのように思っております。

著者は法政大学でアメフトの全日本選抜チームの主将を務めたほどの実力者であり、現在はスポーツ用品やスポーツサプリメントの製造・販売を行う株式会社ドームのCEOを務める傍ら、法政大学アメフト部の総監督をしているスポーツ実業家である。

そんな著者が自身の会社をあげて膨大な時間をかけて調査し、スポーツの「3つの本質的価値」を定義している。

スポーツの価値①:地域経済・内需・雇用拡大

スポーツの価値②:未来を支える人材の育成・開発

スポーツの価値③:健康増進・社会保障費削減

しかし、日本では欧米に比べてこれらのスポーツの価値が十分に認識されていないという。
スポーツの価値②のいわば教育面は顕著に表れていて、アメリカの学校では運動部の活動が学校の正規の教育プログラムとして認められて単位が与えられるケースがあるほどであるのに対し、日本では平日の昼間に授業を抜け出さなければならないように試合日程を組んで開催されている大会もある。
それで単位は与えられないのに。

スポーツの価値①の経済面も教育と密接にかかわっている。
アメリカの学校では学生スポーツで稼ぎ、それを教育に還元しているからだ。
「スポーツは教育であるが、教育にはお金がかかる。そのお金はスポーツで稼ぎ出す。」
というのがアメリカの社会通念である。
アメリカらしい合理的な考え方だなあと感心してしまいそうになるがそれではいけない。
「スポーツだから商業化はしません」という謎理論で、部費や道具は家計に負担させるのが「教育」だとする日本のシステムを著者は問題視しているのだ。

本書を読めば読むほど、著者がどれだけスポーツを愛しているかがよくわかる。
スポーツの価値をこれほど熱心に考え、どう生かしていくかを考えている人間が日本の数あるスポーツ団体運営組織にどれだけいるだろうか。
日本のスポーツのあり方を痛烈に批判され、読む人によっては良い気持ちにならない箇所もあるかもしれないが、それは著者の日本のスポーツを変えようという気持ちがあってこそであると読んでいればわかる。

現場で汗をかいている方々を批判したいのではありません。

その反対です。

現場の汗を成果に変えるべく、本書の大きな総括として「スポーツの課題を、スポーツの課題のみとして解決しない」ことを明確に提起したいと思っています。

つまり「スポーツでくっきりよく見える日本の課題」という見方をすること。

はなはだ僭越ではございますが、これこそが『スポーツ立国論』の本懐です。

タイトルにもあるように本書で取り上げられているのは、日本人だけが気づいていない日本スポーツの大きな問題であり、それは体育会ビジネスパーソンも例外ではなく刺さるものばかりである。
本書を読まずに分かった気でいるのはかなり危険であろう。

本書を読めばスポーツに対する考え方がガラリと変わるはずだ。
今まで当たり前だと思っていたことがひっくり返る、そんな体験ができるのでぜひ手に取ってみてほしい。