『語学の天才まで1億光年』自動翻訳時代の語学の意味を問う


この本の印象

タイトルだけを見ると少し難しい内容に思えるかもしれないがそんなことはない。

著者の高野氏が世界のさまざまな辺境での語学体験エピソードを描いているのだが、そこで実際に現地で体験したエピソードがぶっ飛んでいて、とにかく面白い。読めば読むほどワクワクしてくる本だ。

どんな人におすすめか

外国語を勉強しているけどなかなか上達せずに悩んでいる人におすすめしたい。

まず、外国語を勉強するコツがところどころに散りばめられている。

それと、絶望的な状況の連続である高野氏の『世界の辺境エピソード』を読んでいるうちに勇気がもらえるかもしれない。

中身の紹介

世界の辺境エピソードが5章構成で描かれていて、それぞれ『インド篇』『アフリカ篇』『ヨーロッパ・南米篇』『東南アジア篇』『中国・ワ州篇』と実にバラエティに富んでいる。

中でも『アフリカ篇』は高野氏がリンガラ語学習で起こした語学のビックバン(?)についての記述があるが、ここは非常に言語学習における学びが多い箇所の一つである。

フランス語はコミュニケーションに必須だが、意志や情報を伝達するだけだ。いっぽう、リンガラ語での会話はコミュニケーションを十全にとるには程遠いが、地元の人たちと「親しくなれる」のである。

コミュニケーションをとるための言語と仲良くなるための言語。外国へ行って現地の人と交わるとき、この二種類の言語が使えれば最強なのだ。いわば「語学の二刀流」、これを使いこなす快感を知ってしまった。

私にとって「語学ビックバン」である。

この語学ビックバンによって高野氏は言語学習に対する意識が変わり、それまで英語やフランス語を学ぶ時に気にしていた「正しさ」はどうでもよくなり、現地の人に「ウケるかどうか」を大切にしていたという。

リンガラ語に出会うことによって、私の言語学習法は変わってきた。

英語やフランス語を学ぶときはいつも「正しさ」を気にしていた。正しい文法や正しい発音、正しい綴りなどが中心軸にあった。インドの旅において、実践的な会話では正しさは気にしなくていい、通じればいいとわかったはずなのだが、それでも勉強するときは正しさを追求してしまうのは日本の語学教育が体に染みついているからだ。

ところが、「ウケるかどうか」に集中すると「正しさ」はわりとどうでもよくなる。問題は「いかに現地の人っぽく話すか」ということに尽きるからだ。

(中略)

では、どうすれば現地の人っぽく話すことができるのか。それは現地の人の真似をするしかない。それも漠然とではなく、ホテルやバーや市場などで実際に会った人たち一人ひとりが、どういうときにどういうことをどんな調子で言うのかをよく観察する。そして、それをその人そっくりに、しかももっと大げさに喋るようにすることだった。つまり「物真似」である。これがいちばん「ウケる」という結論に達したのだ。

何事においても「学ぶときは真似ることから」とよく言うが、やはり言語学習において真似をすることは非常に重要であることがよくわかる部分である。

著者について

高野氏にとって語学とはアジア・アフリカ・南米などの辺境地帯で未知の巨大生物を探すとか、謎の麻薬地帯に潜入するといった、極度に風変わりな探検的活動で使うためのツールであると考えている。

そんな高野氏は「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く。」というポリシーのもとで活動するノンフィクション作家で、この本を読めばこのポリシーに従っていることがよくわかるが、とにかく「ぶっ飛んでいる」。

なぜこの本を取り上げたのか

誰もがインターネットで自動翻訳ができる時代。ましてや、ポケトークのような翻訳ツールを使用して目の前にいる外国人ともある程度会話ができてしまう今、語学を勉強する意味はあるのだろうか。

また、高野氏は翻訳の機械やアプリが発達することで言語の壁が消えていくこの状況を半ば歓迎し、半ば恐れているという。

この『歓迎』と『恐れ』の意味、そして語学を勉強する必要性はこの本を読むことできっと見つかるだろう。

ぜひ一度、手にとってみてほしい一冊である。