『禍いの科学』正義が愚行に変わるとき
それってホントに正義なのか!?
本書を読んだ2020年を振り返ると、そんなことを考える機会が増えた1年だったことを思い出す。
日本では1回目の緊急事態宣言が発表されて人々が家の中で過ごす時間が増えたとき、「自粛警察」というものが流行語になるほど話題になった。
「自粛警察」とは政府や自治体の要請に反して外出する人や営業する店舗を過度に批判したり、嫌がらせをしたりするような人たちを指す造語で、SNSでも正義を振りかざしてこの類の愚行をする人を見かけた方も多いだろう。
こういうことがあると「正義」と「愚行」は正反対の言葉のようで、ほんとうは紙一重なのかもしれないと思う。
行きすぎた正義は愚行に変わるのだ。
だがそれは一体どんなタイミングで変わるのだろうか。
また、正義のつもりが愚行になってしまうといったことが起こらないためにはどんな注意をするべきだろうか。
そういうことを歴史の物語に基づいて我々に教えてくれるのが今回紹介する本書、「禍いの科学」である。
この本のおもしろいところは、現在であれば全く信じられないような科学が信じられてきた歴史があることを知ることができるところにある。
しかもその結果、それが本書のタイトルのように「禍いの科学」になってしまったケースが取り上げられている。
正義によって考えられたトンデモ科学が信じられてしまったことでそれは愚行になり現在に至るまでその問題が残っているケースもあり、「過去のことだ」と手放しには笑えないのだ。
そんなエピソードから多くの教訓を得られる一冊になっている。
ぼくが本書からもっとも大事にしたいと思った教訓は、
すべてのものには代償があり、ただ一つの問題はその代償の大きさだけだ。
である。
代償はどうしても避けられない。何かを得るためには何かを失わなくてはならないのだということを改めて感じさせられた。
このような教訓がどのようなエピソードから得られるのか。
それはぜひ本書を手にとって体験してほしい。